(※この記事は、シリーズ「医学部医学科の合格者に告ぐ。」の一部です。)
今回は、医学部で勉強する上で、そして医師となった後に活躍するために、英語がいかに重要になってくるかを紹介したいと思います。
現時点で「日本で仕事をするんだから別に英語なんていらないでしょ!」と思われている方には是非最後まで読んでいただきたい記事です。
漠然と「そんなことわかっている」と思われる方もいらっしゃると思いますが、英語がどのように必須であるのか、将来に生きてくるのか紹介したいと思います。
医学界の共通言語は英語である
「医学界の公用語は英語である」
多くの国際機関の公用語が英語であるように、多くの多国籍企業の公用語が英語であるように、医学界の公用語も英語なのです。これは変えようのない事実です。
今後医学の世界で活躍したいと思ったら、たとえその場所が日本国内であっても、ある程度英語になじんでおく必要があるでしょう。
最新の医学情報は全て英語で流通する
医学情報の最前線は「医学論文」です。論文を英語で出さなければならないという決まりはありませんので、世の中には英語以外、もちろん日本語の医学論文も少なからず存在します。
しかし、上述の通り、医学界での公用語は英語であり、医学論文を掲載する権威のある雑誌も基本的には英語です。
論文執筆者も自分の論文のインパクトをより強いものとするために、英語で論文を投稿します。
このサイクルの繰り返しで、今後もインパクトの強い医学情報は英語で流通することは想像に難くありません。
場所が日本であっても、患者さんに最良の医療を提供する義務が、医師にはあります。各人の経験のみを拠り所として医療を行うのではなく、科学としての最新で明確な根拠(Evidence)に基づいて診療を行っていくことが求められるのです。このような、科学的な根拠を第一に医学・医療を展開することを「Evidence Based Medicine(EBM)」と言います。これが医師が一生勉強しなければならないと言われる所以でもあります。
その科学的根拠(Evidence)を知識として吸収し、いち早く自分の診療に活かすには、世界各地を発信源とする論文を読み、解釈し、吟味するだけのリテラシーが必要になります。少なくとも、英語を読む力は必須です。
これに加え、論文を書く側に立つならば、英語を書ける力も必要になってきます。
学会や講演、発表といった国際的な場に行けば、話す・聞くといった力も重要です。
私自身も、そういう場に立たされた経験はありませんので実体験をお話することはできませんが、講義や実習で教えて頂く先生の多くが、「国際学会なんかで英語ができないのが悔しいし、不利に働く。もっと学生時代から英語を頑張っておけばよかった」というお話をされます。
学生時代には身をもってその必要性を感じる機会がないため、多くの先生が英語の不勉強を後悔されるようです。
教科書・論文の日本語訳は減少する
医学は細分化・専門化の著しい学問です。学生レベルで勉強する内容ですら昔の2倍とも3倍とも言われているくらいです。
これまでは、各分野において日本に第一人者とされる先生方がいらっしゃり、こういった方々の協力も仰ぎながら最新の知見を日本語で翻訳するだけのキャパシティがありましたが、今後医学が細分化・専門化していく中でも同様にうまく行くとは限りません。
また、日本人の人口減少に伴って、市場において日本語の書籍の需要が減少するのも当然です。現状医学部の定員は横ばいかむしろ増える傾向にありますが、長い目で見れば日本の人口と比例して減少していくと考えられます。
和訳の医学情報の需要が減少したとき、出版社の自然な戦略は「生産を減らす」か、「価格を上げる」のどちらかとなるはずで、結局「原著しかない」「原著の方が断然安い」という状況は容易に想像できます。
現状、医学生レベルの知識については、十分日本語で勉強するだけの資源が供給されていて、普通に勉強していたら学生時代に英語の必要性に駆られる機会はないと思われます。このことも英語の勉強を疎かにしてしまいがちな原因でしょう。
自分が出ていくか、外国人を迎え入れるかの二択
日本の人口は減少の一途をたどりつつある一方、海外からの働き手の流入も増加しています。
私は、遅かれ早かれ日本の医療者が。「日本に在住する日本語を母語としない人々を相手に診療する必要に迫られるか、もしくは働き口を求めて自らが海外へ出ていかなければならない」という状況が生じうると考えています。
いずれの状況においても、世界的に公用語としての地位を得ている英語を操れるに越したことはありません。
外からだけでなく、下からも迫ってくる英語
昨今、社会的にも英語の重要性に関する認識が広まり、やっと小学校・中学校・高等学校の英語教育が改善されつつあります。
いわゆる「受験英語」ではなく、将来生きる「コミュニケーション」に主眼を置いた英語教育へどんどんシフトしていくのは間違いありません。
つまるところ、後輩は自分よりも実務的な英語の訓練を受けてきているということです。そんな中で生き残るための一つの戦略は、自分もその能力を磨くことです。
翻訳技術に頼る選択肢もあるが・・・
今後英語が重要になっていくことはわかるが、それに歩調を合わせる形で翻訳技術も進歩するはずだ、と考える方も多いでしょう。
確かにそのとおりで、英語論文も翻訳ソフトにお願いすれば結構質の高い訳を返してくれたりしますし、日本語を聞かせると代わりに他言語で話してくれる機会も質が向上してきました。
しかし、英語を自分のスキルとして持っている人と比較すれば、コミュニケーションや読解に2倍の時間がかかるというのも事実です。
だでさえ診療で時間に追われ、学生時代のように時間的余裕はありません。一から十まで翻訳に頼っていては円滑な診療はできないでしょう。
また、自分の時間を余分に消費するだけならまだ結構ですが。相手が存在するコミュニケーションの場においてそれをすれば、相手にも2倍の時間を強いることになります。
運転教本を読みながら運転する人はいませんが、円滑にコミュニケーションを図る点で、言語についても同じことが言えそうです。
もっと翻訳技術が進歩し、即時性や正確性が向上したとしても、コンピュータを利用する人間の責任はついてまわります。原文ママで理解し、吟味できる力は今後も求められるのではないでしょうか。
日本の医学教育は温かい
ここまで何度か述べましたが、問題は、「医学部在学中に英語の必要性を身をもって感じられる機会がかなり少ないこと」です。
論文を読むにしても、十分な時間がある中で、翻訳技術も使いながら、ぬくぬくと読み解く余裕があるし、国際学会に出席するとか、外国人の患者さんと接するとか、留学生と関わりを持つとか、嫌でも英語の必要性に駆られる機会がある大学はごく一部でしょう。(もちろん自分から求めればいずれも経験できるでしょうが・・・)
多くの場合は「英語ができないとこういう困り方をするんだ」という実感を得られぬまま学生生活を終え、将来いざ本当に英語が必要な機会に後悔することになるのではないでしょうか。
苦労しないで教育を受けられることで、それだけ学べることも増えるということもあり、日本の医学教育の温かさはありがたく享受すべきかと思いますが、それがもとで本当に苦労したくないときに大変な思いをするのは避けたいところです。
かといって英語学習のモチベーションを維持するのは大変なことなのですが、しかしこの事実を念頭に置いておくだけでも、在学中の英語に対する姿勢が変わると思います。
まとめ
日本人は戦後復興してから物資も人材も豊かな環境の中を生きることができました。物資は自国以外に依存する部分も大きかったですが、少なくとも「人材」という資源は日本人だけで十分な供給量があり、「日本人なんだから日本語だけ話せれば良い」という考え方が当たり前の時代が続きました。そんな中ですので、「英語ができればアドバンテージ」という時代だったのです。
ところが、今後は人材という資源ですら自国では賄えない時代がやってきます。
「英語ができればアドバンテージ」の時代から「英語ができなければスタートラインに立てない」という状況に陥ってもおかしくないでしょう。医療の世界も例外ではありません。
そうなる前に是非英語の力を鍛え、来る英語必須時代に備えたいものです。(と筆者自身にも言い聞かせるつもりで書いています(笑)。)
この記事とは別に、医学生が英語を勉強するための具体的な方法を紹介しています。
(※この記事は、シリーズ「医学部医学科の合格者に告ぐ。」の一部です。)
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