2020年度から始まる大学入試共通テストにおいて、英語民間試験の導入が延期となりました。
来年度当初英語の学力を4技能ではかることを目的として導入が予定されていた英語民間試験ですが、地域格差・経済格差を始めとする「受験機会不均等」の観点からこれが延期されたものです。
共通テストのコンセプト
昨今の様々な事情から新時代を担う世代には「思考力」「判断力」「表現力」が重要視されるようになり、大学生になることを望む学生にもこれらを求める動きが加速しました。
「大学入試自体を『思考力』『判断力』『表現力』を問うものにすれば、そういう大学生を生み出せるのでないか」と考えた文部科学省が打ち出したのが「大学入試共通テスト」です。
従来の大学入試共通テストが「知識」「技能」を問うていたのに対し、共通テストはこれらに加えて「思考力」「判断力」「表現力」を試す試験として計画されています。
具体的な変更点として、
- 国語・数学に記述問題が加わり、試験時間が伸びる
- ReadingとListeningの配点が1:1となる
- 受験大学によっては共通テストの英語受験を英語民間試験に代替できる
今回の報道によると、3つ目が延期とされるようです。
共通テスト:前衛的だが非現実的
私は「思考力」「判断力」「表現力」が豊かな人材が今後の日本を牽引していくということには全面的に賛成します。
技術革新により様々な産業で「人手」「労働力」が不要となるであろう将来社会において、新たな価値を生み出すことができるのは「人間の知恵」だからです。繁栄し競争に勝つためには、現状からは想像できないほどの「多様性」「創造性」が必要とされる時代が必ずやってきます。
特に人口が減少が激化している日本においては、なおさら世界に先駆けてこの観点を大切にすべきです。
このような「多様性」「創造性」は、既存の「知識」「技能」を基盤としつつも、「思考」「判断」「表現」といった創作活動を繰り返すことによって獲得されるでしょうから、高等教育機関の入学試験でこれらの能力を問うことは理にかなっています。
この点には私は大いに賛同します。
ところがその場を誤ったのが大学入試共通テストです。
大学入試センター試験の強みは、各年50万人以上もある受験者の「知識」及び「技能」を平等に評価できることでした。マーク方式のこの試験は、「学問的な正しさに基づき考えれば解答が一つに定まる」もので、日本国民全員に課される消費税の如く平等でした。
教育の機会均等を保証している日本においては不可欠な入試制度であったと言えます。
センター試験をベースに平等性を担保しつつも、「思考力」「判断力」「表現力」を問うための記述問題を追加する予定となっているのが大学入試共通テストなのですが、「二兎追う者は一兎も得ず」状態となることが否めません。
マーク方式ならa〜eの5通りであった解答が、記述問題を取り入れることで50万通りに膨れ上がるのです。平等に採点することが無謀であるのは想像に難くありません。
平等性を担保した採点を可能とするため、解答形式に指示を与えるなど工夫が盛り込まれる予定だそうです。
「『〇〇』という書き出しから始めて、筆者が△△であると主張する理由を述べた後、『□□』という接続語を用いて、・・・」
のような事細かな解答指示がなされるとのこと。
人が採点する以上こうするしかないのでしょうが、「思考力」「判断力」「表現力」はどこへ行ったのでしょうか。
「平等」と「多様性」の二者を同時に追い求めた結果、収集がつかなくなってしまったのが現状でしょう。
50万人単位で受験し、かつ実施後迅速に結果をリターンしなければならない試験において、「万人に平等となる試験とすること」と「解答に幅を許容し多様性を認めること」を両立することは、現在の環境では非現実的なのです。
もっとも、将来的にはこれが可能となるかもしれません。
仮にAIによる人物評価を人々が受け入れる社会が到来したら、50万人規模の記述試験をAIが採点することは「平等」となりえます。
無論このようなことは現在の技術では不可能でしょう。
「大学入試センター試験において、学力基盤である「知識」「技能」を平等に評価する。その上で、各大学が個別学力試験において「思考力」「判断力」「表現力」を問う試験を課す。」
現行のこの仕組みが現代に適合した入試制度ではないでしょうか。
「記述試験」とした時点で100%の平等はないわけですが、数百人規模の個別学力試験であれば、「思考力」「表現力」「判断力」を問いつつ公平性をできる限り維持することは無理難題ではありません。
もちろん「多様性」を重視するほど各大学に課される労力は重くなるでしょう。しかし、
- 次世代を担う教育を行うための教育観・ポリシーを高く掲げること
- 将来を見据え、必要なら教育観・ポリシーを更新すること
- これらをアドミッションポリシーとして広く高校生以下に示し、指針を与えること
- 上記に基づき、次世代を担う人材を発掘する(入学試験を改革する)労力を厭わないこと
といった点もまた高等教育機関の義務です。日本の大学がその伝統に胡座をかき、これを怠りがちであったことは否めません。
受験生の視点からの要望
私は大学入試センター試験を受験した世代です。
受験生であった私はセンター試験に対して「特殊な試験だ」という印象は持ちつつも、「これ以上平等な試験はない」という安心感を持って勉強することができました。
これを思い返すと、大学入試共通テストを課される世代が不憫でなりません。
自らが志望する大学内において一律に評価された上で、「君は落第」と言われたならば納得のしようがあります。
しかし、志望大学が関与しない委託試験を受験し、どこの誰がどんな基準で採点したのかも分からない結果が自分の志望大学での評価に用いられることを受け入れるのは易いことではありません。
来年に備えて民間英語試験の勉強に精を出していた高校生も少なくないでしょう。そんな中で「民間試験は導入延期!」と言いえたのですから、この際共通テストの導入自体延期してしまえば良いのにと思えてなりません。
他方、「ReadingとListeningの配点を1:1にすること」今直ぐ導入すべきであると考えます。また、マーク形式の問題であっても「思考力」「判断力」「表現力」を問う余地はあり、これらを改革することは可能でしょう。共通テストに賛成できる点はこれくらいです。
文部科学省には英断を期待します。#拡散希望!
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